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なのまさん

ITにまみれた素朴っ子。

わたしが見つけた、大学生活の意義

今や大学に通っても意味がない、時間の無駄だ。

大学に行くくらいだったらインターンでもしてすぐに実務を学ぶべきである。

学業を突き詰めて学べるのは学生の特権で、長期的に見れば有益である。

大学は人生のモラトリアム期間。とにかく遊ぶ。

 

大学を含め進学やキャリアの捉え方は人それぞれだろう。全部局所的には合ってるだろうし、正直なんでもどれでもいい。本人が納得できれば。

 

私はというと、人となりに勉強して、大学生へのなんとなくの憧れイメージと共に大学へ進学。ただ、自分の中にある興味や熱量をキャンパス内の活動に留めておけず、結局大学生活の後半はほとんどの時間をインターンに費やした。やはり実際の企業で学ぶことは、実務的にもマインド的にも本当に多かったと思う。

 

それでも私は最後に、大学に通った意義を見つけた。

2017年の3月大学を卒業する。この大学生活で特段大きな成果物を残せたわけではないけれど、今の自分が感じる大学生活の意義を記しておきたいと思う。どれも小さな小さなものだけれど、少なからず自分の思考に影響を与えている。

いつかまた、自己を探求できる意味での大学に戻ってきたいな。

 

自由こそ、もっとも頭と体を使うことを知る

進む道やコミュニティーがある程度制限されていた小中高時代と違い、大学はいい意味で自由だし、悪く言えば完全放置。あたり前だけど自分から何かに対して働きかけなければ誰も何もしてくれない。自分ですべて選んで、掴まなければいけない。

 

大学生活の中でおこなう比較的大きな選択は、自分が学ぶ専門分野の選択、就職先の選択だろうか。きっと人生の序章に過ぎないのだろうけど、一応ここで人生における選択の第1関門にぶち当たることになる。

自由を手にすれば、それと引き換えに選択をする力と、自発的な行動を必要とされる。

これから年をとるにつれて、どんどん選択の難易度が上がり、それによる責任も増えていくことになるのだと思う。

「何の制限もなくてラク〜ふわふわ〜ハッピー☆☆」みたいな自由に対する幻想をここで崩せたのはよかった。

 

不正解の選択はないことを学ぶ 

当時は時間の無駄だとか、間違えた方を選んだとか思い込んで沈んでいても、振り返ってみればその選択が今の自分に繋がっていることってある。

身を以ってこれを学んだのは、入学後の専攻決めでのタイミング。入学前からこれを学びたいと思っていた分野があったのだけれど、「なんとなく(就職とかで)こっちのほうが役に立ちそう」という理由でそれまで全く考えていなかった分野に急遽変更してしまったのである。

 

いざ授業が始まると、びっくりするぐらいつまらなく感じた。それはもう世紀末かってくらい後悔した。今考えると本当にくだらないけど、自発的に留年でもしてやり直そうかと思うくらい末期症状だった(笑)

でも、それが反動となって「自分の力で大学生活を充実させよう」と決意して思いもよらない環境に出ることができたし、最終的にはキャンパス外含めた"大学生活で培ったもの"をその分野の卒論で自分なりにまとめることだってできた。

今はこの選択で大正解だったと思う。もしも入学前から気になっていた分野を選んでいても、大正解にできたんじゃないかなとも思う。

 

すべての成果物の先にいる"人"を想う

今ではこうやってブログ書いたり、ウェブメディアで執筆したりする機会もあるのだけれども、基本的にはレポート課題の執筆が大っ嫌いだった。

基本的に長い文章がニガテ。たいてい集中力がとぎれまくるのだ。

 

それでも単位は欲しい。どうするか。

黒幕として友人に執筆を委託することは小心者の私にとっては不可能だったので、やっぱり自分で書くしかない。

そんなときは、たとえレポートといえど読む側のこと(つまり教授)を思い浮かべた。この表現は読みやすいか。どうしたら「ほほぉ……」と一瞬でも唸らせることができるか。その先に誰でもいいから人がいると思うだけで、特段好きな相手でなくても頑張れちゃう。レポートに限らず、今では何かを書くときの基本ポリシーになっている。

 

これは決して自分ひとりで習得したわけじゃない。厳しい教授の指導のもとで習得できた部分も大きい。「自分の作った制作物によって、読んでいる相手の貴重な時間を使っている」この的をついたメッセージを嫌というほど徹底して伝えられたからだ。この場を借りて謝辞を述べたいと思う(卒論風)。

 

問題解決の超基本プロセスを習う

これから社会に出たら、嫌でも学んでいくことになるのだろう「問題解決」に対する考え方。社会人の皆様の足元に及ばないことは承知の上で述べるが、私は問題解決に関する一連のプロセスの基礎部分を、卒論の執筆活動を通して学ぶことができたと思う。

 

問題解決のプロセスの中でもっとも大切な部分は、「そもそも何が問題なのか(WHAT)」の論点を明確にすること。「問題をどう解決するか(HOW)」に大きく重点を起きやすくなるが、比重が偏りすぎるとかなり危険である。問題の本質を掴めていなければ、問題に対するアプローチ方法が的外れになってしまうからだ。

 

そのため卒論執筆では

問題定義→仮説の構築→問題に対するアプローチ方法の策定→実験→結論(執筆)

の順で進めていき、最初の問題定義にもっとも長い期間を使って推敲を重ねた。

 

この思考プロセスがビジネスのすべてのシーンで使えるとは思っていないけど、「問題の本質を見逃していないか」と随時自分自身に問うことは、今後も重要になってくるのではと思っている。

 

以上、大学生のときの自分が何を考えていたのか残しておくための忘備録でした。

どの道を選んでいたとしても、最終的には選んだ道に対する意味づけを自分自身でおこなわなければならないのだろうな。自分で意味を与えてしまえば、どんなことだって素晴らしい経験になるはずだと私は信じています。